1989年の夏、ハンガリーのショプロンで開催された政治集会というか、ハンガリーからオーストリアへのピクニックです。
その時は1,000人程度の東ドイツ国民が参加し、西ドイツへ亡命しました。
そう、冷戦時代の鉄のカーテンが大きく崩れる切っ掛けを作ったイベントです。
ハンガリーに国を逃れた人々が押しかけ、一機にオーストリアを経由してドイツへ向かう。
それは今のヨーロッパの状況と重なります。
他にもいろいろなルートが考えられそうなのに、何故か人々はハンガリー→オーストリア→ドイツというルートを辿ります。
そこには歴史的、地域的な事情もありそうです。
でも、ヨーロッパ・ピクニックと今の状況には大きく違う点があります。
ヨーロッパ・ピクニックはあくまでヨーロッパ内の事、ハンガリーに留まった1,000人の人が移動して、カーテンがなくなり、壁が崩壊すればある程度の人々はその人が居るべき場所に帰って行きました。
今、移動し留まっている人はヨーロッパ以外から来ています。
その時ハンガリーに留まっていた人々を全てオーストリアへ移動させても、次の人々がやって来ます。
多くの人がオーストリアを通過しドイツへ移動しても、次の人々がやって来ます。
ハンガリーが壁を造ればクロアチアへ、そしてそこから。。。
ヨーロッパ・ピクニックの頃は世界中を巻き込んで、とんでもない事が起こっていると信じていました。
確かにソ連が崩壊し、世界は大きく変わりました。
でも、それは米国も含むヨーロッパから発生した西洋文明と言ってもいい、世界の中の一部の事だったような気がします。
私は移動している難民を見る度に思います。
イスラムの世界が問いかけている。
日本や米国も含む私達に問いかけている。
次の世界はどんな形になるの?
そこに私達の居場所はあるの?
そこに日本は?
そこで私達はどう生きていくのだろうか?
きっと、ヨーロッパ・ピクニックの頃を知らない人もいるんだろうなぁ?
積極的平和主義を叫ぶあの人は何をするのかなぁ?
写真はショプロンの駅です。
この駅を通過してドイチュクロイツへ行く度にこの駅に下車しなければならない運命の日本人が一人います。
そいつがこの掲示板の前で日本語で悪態をついています。
それはヨーロッパ・ピクニックとも難民問題とも関係ないショプロン問題です。
やれやれ
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